「人的資本経営に取り組みたい」と言われても、まず何を変えればよいのか分からない。そう感じる経営者や人事担当者もいるでしょう。研修を増やすことなのか、社員の情報を数字にすることなのか。言葉だけが先に広がり、実務との距離を感じやすいテーマです。
人的資本経営は、事業を進めるために必要な人材を考え、採用・育成・配置・評価をつなげて見直すことから始まります。新しい制度や高価なシステムを一度に導入する必要はありません。
この記事では、人的資本経営の意味と注目される背景、従来の人事との違い、中小企業で期待できる効果と取り組み方を整理します。人的資本開示との関係も分けて説明します。
人的資本経営とは?人への投資を経営戦略につなげる考え方
人的資本経営とは、従業員の知識や経験、技能などを生かし、その価値を高めるための取り組みを経営戦略と結び付ける考え方です。経済産業省も、経営戦略と人材戦略を連動させ、実務に落とし込むことを重視しています。
たとえば、会社が新しいサービスを始めるなら、必要な仕事とスキルを洗い出し、社内で育てるか、配置を変えるか、新たに採用するかを考えます。採用した後も、任せる仕事や評価基準を見直していきます。研修を実施した回数より、学んだことを仕事で使えているかが大切です。
人件費の管理が不要になるという意味ではありません。必要な支出を管理しながら、人材への投資が事業や働く人の成長にどう役立つかを考えることが、人的資本経営の基本です。
従来の人事と何が違う?
採用、研修、評価は、以前から多くの企業が行ってきました。違いは、それぞれの施策を事業の目標と照らし合わせ、互いにつなげて考えるかにあります。
たとえば営業体制を強化したい会社で、採用担当者は経験者を募集し、研修担当者は全社員に同じ講座を用意し、現場では別の基準で評価しているとします。各担当者が仕事をしていても、必要な人材が育つとは限りません。
そこで「新規顧客への提案を増やす」という目標から必要な役割を決め、採用時に確かめる経験、入社後に教える仕事、配置と評価の基準をそろえます。既存社員の育成で補える仕事と、外部から採用すべき仕事も見えてきます。
関連記事:採用・育成・評価をつなぐ人事戦略とは?中小企業が一気通貫で組織を強くする方法
人的資本経営が注目される背景
人材の確保だけでは事業を続けられない
採用が難しい仕事ほど、欠員が出るたびに同じ条件で募集するだけでは現場の負担が残ります。今いる社員が仕事を覚え、別の役割に挑戦できるようにすることや、辞めた理由を次の採用・育成に生かすことも必要です。
事業の変化に合わせて必要なスキルが変わる
新しいサービスの開始や業務のデジタル化によって、求められる知識や役割は変わります。過去に作った職務分担や研修内容をそのまま続けると、事業の計画と現場の力にずれが生じます。そのずれを定期的に確かめることが、人材への投資を考える出発点になります。
企業の人材に対する方針を示す動きが広がった
投資家などが、企業の人材育成や働く環境に関心を寄せる中、有価証券報告書等でも人的資本に関する情報の開示が進んでいます。ただし、開示制度への対応と、現場で人的資本経営を実践することは同じ仕事ではありません。対象企業に求められる開示については、後ほど整理します。
中小企業が人的資本経営に取り組むメリット
採用するべき人材が明確になる
「人手が足りない」だけでは、どんな人を採るべきか決めにくいものです。事業の計画から必要な仕事を整理すると、採用で補う役割と、社内の育成や配置で対応できる役割を分けて考えられます。求人票や面接で確かめる内容も具体的になります。
育成を現場の仕事に結び付けやすくなる
研修を受けても、実務で試す機会がなければ身に付きにくいでしょう。先に任せたい仕事を決めておけば、教える内容、実践の場、上司が確認する点をそろえられます。研修の受講者数だけで終わらず、仕事を任せられるようになったかを確かめられます。
定着を妨げる問題に気付きやすくなる
退職が続く場合、給与だけでなく、仕事の負担、役割の曖昧さ、評価への納得感など、複数の要因が考えられます。面談や退職時の聞き取りを振り返り、現場の状況と照らすことで、先に直すべき問題を見つけやすくなります。
こうした効果は、制度を作れば自動的に出るものではありません。何を改善したいかを決め、取り組みの前後で変化を確認することが必要です。
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人的資本経営の取り組み例|中小企業なら何から始める?
以下は実在企業の成功事例ではなく、自社で取り組む際の例です。課題が異なれば、最初に選ぶ施策も変わります。
採用難なら、募集前に仕事を分ける
経験者が採れない場合、求人条件を変える前に、その職種の仕事を列挙してみます。入社時点で必要な技能と、入社後に教えられる技能を分ければ、採用対象を広げられるかもしれません。受け入れ担当者と教える順番も決めておきます。
若手が育たないなら、任せる仕事を明確にする
一律の研修を追加する前に、入社後の各時期にどの仕事を任せたいかを現場の上司と確認します。仕事を見せる、本人に試してもらう、振り返るという流れを作り、できるようになった仕事を記録します。
退職が続くなら、社員の声を施策につなげる
サーベイや面談で課題を聞いた後、結果を集計して終わらせないことが大切です。部署ごとの仕事量や面談の内容と併せて確認し、改善する項目を一つ選びます。社員に「何を変えるか」を伝え、一定期間後に再び状況を確かめます。
関連記事:エンゲージメントサーベイが意味ないと言われる理由とは?中小企業が陥る失敗と活用方法
人的資本経営を進める5つの手順
事業上の目標を一つ決める
まずは「来期、新規顧客の対応件数を増やす」「店長を任せられる人を育てる」など、具体的な仕事に結び付く目標を選びます。人事施策から考え始めると、研修の実施自体が目的になりがちです。
必要な役割と、現状との差を確認する
目標を達成するには、誰がどの仕事を担う必要があるかを書き出します。そのうえで、担当者の人数、経験、業務量を確認します。社員の能力を一方的に評価するためではなく、仕事の割り振りや支援の不足を見つけるための作業です。
採用・育成・配置から優先する施策を選ぶ
不足している仕事をすべて新規採用で補う必要はありません。既存社員への引き継ぎ、配置変更、管理職の支援方法の見直しなども候補になります。実行する担当者と期限まで決めておくと、計画が止まりにくくなります。
指標を少数に絞って記録する
採用を改善するなら採用充足率や入社後の定着、育成なら任せられる仕事の増加、配置なら特定の人に業務が集中していないかなど、課題に合う指標を選びます。数字だけで判断せず、面談や現場の状況も併せて確認しましょう。
一定期間後に現場と振り返る
数か月後に、当初の目標に近づいたか、現場に無理が生じていないかを確かめます。結果が出なければ施策や目標の置き方を見直します。最初から完璧な人事制度を作るより、この振り返りを続けるほうが実務に役立ちます。
関連記事:人事データ化とは?中小企業が採用・定着を数字で判断する進め方
人的資本経営と人的資本開示の違い
人的資本経営は、人材への投資や働く環境の整備を事業の方針と結び付け、実行して見直すことです。一方、人的資本開示は、人材に関する方針、取り組み、指標などを社外に示すことを指します。
金融庁は、有価証券報告書等に「サステナビリティに関する考え方及び取組」の記載欄が設けられたことや、一定の多様性指標に関する開示について案内しています。
すべての中小企業に、有価証券報告書で同じ情報を開示する義務があるわけではありません。 自社が制度の対象になるか、何を記載するかは、最新の制度と会社の状況に沿って確認してください。
開示の対象でない企業でも、採用候補者に育成方針を伝えたり、社員と今後の仕事について話し合ったりする意味はあります。その際は、示す数字を増やすことより、実際に取り組んでいる内容を正確に伝えることが大切です。
まとめ|事業上の課題から、人材への投資を考える
人的資本経営を始めるときは、まず事業で達成したいことと、それを担う仕事を明確にします。必要な人材や技能を確かめれば、採用、育成、配置、評価のどこを見直すべきか考えやすくなります。
中小企業なら、課題を一つに絞り、現場と相談しながら施策を試すところから始められます。実行後に結果を確認し、次の判断に生かす。その積み重ねが、人的資本経営を日々の仕事に根付かせます。




















